ただ何となく生きてるだけ

30歳過ぎにもなって「死にたい」なんて言いたくないが、それでも言いたくなってしまう。こんなことを考えてる自分がどうしようもなく馬鹿だと自覚してまたしんどくなる。客観的に見たらいい大人だ。人前で死にたい死にたい言ってるおじさんなんてみっともない。俺の中で「大人は立派」という価値観があるみたいだ。

こんなに辛い思いをしてまで生きる意味が全く分からない。今生きているのは余生だ。人生のピークはとうに過ぎており、あとはただ下っていくだけ。「まだ先は長いんだし、どこかに山があるかもしれない」という期待がないわけではないが、訪れないことも同時に理解している。俺の人生には何も起きないよ。例え山が訪れたとしても登る気力がないだろう。

ここ数年、大晦日と誕生日の前日は「今日で死ぬかも」と考えてしまう。新しい1年を迎えるような心境にない。キリがいいところで人生の幕が下りるのも悪くないと妄想してしまう。そして何事もなく0:00になり新年を迎える。誕生日には1つ年を取る。死ななかったことに安心するような、残念なような。

わざわざ死にたいわけではないけどこのまま生きるのもつらいと感じている。誰かの訃報を聞くたびに、自分が代わってあげたいと思う。うらやましいと言っては不謹慎だが、少なくとも現世からは解放されたのだ。

なぜこんなにつらいと感じるのだろう。原因は何なのか?激務というわけでもなく、誰かに攻撃されているわけでもない。ストレスになるようなことがないのだ。これは幸せな状況だが、逆に解決策が分からないということでもある。死にたい原因が会社や上司にあるならそのせいにすればいいんだけど、そういうのがなくただ何となく死にたいと思うのだからどうしようもない。

死にたいことに理由なんてない。厳密に言えば死にたいというより生きる気力がないんだ。生きたくない=死にたい になってしまっている。これ以上ダラダラと生きることに抵抗があるのだ。肉体が若いうちに、脳みそがしっかりしてるうちにこの世からバイバイしたい。もう十分に楽しんだよ。やりたいことは大体やったし、ほしいものは手に入れた。これ以上何を望む?

ここまで書いてきたことは人に相談しにくい。死にたいと言ったら「何かあった?」「どうした?」と聞いてくれるだろう。それに対する答えは「特に何もないよ」だ。何か理由がなきゃ自死しちゃダメなの?自死するにも立派な理由が必要なのか?

自死したとして、知人に何かを背負わすようなことはしたくない。俺が自死をしたことを知った人は「あのとき話を聞いてあげれば」と思ってくれるかもしれない。でもそうじゃない。自死は俺が勝手にしたことであって、何も責任を感じる必要はないし、さっぱり忘れてくれてかまわない。ってか忘れてほしい。

人生は自分の思い通りにならない。世界は俺の都合など一切おかまいなしに動いている。そのことを俺は理解できていない。今日は調子が悪いから明日にしようとか、俺の都合など関係ないのだ。俺が貧乏とか仕事が上手くいかないとか上司に叱責されるとか二日酔いで頭痛がひどいとか全く関係ない。この世界と俺、いい関係を築いていくしかない。

未来のこと。過去のこと。考え出すとキツくなる。ただ毎日のほほんと生きるだけでいい。何も考えなくていい。どうせ人はみんな死ぬんだ。何もしなくていい。

意識は低くていい。