左折ができない朝、昭和生まれの憂鬱

 朝8時、片側3車線の国道を走っている。30m先の一方通行の道路に入るためウィンカーを出す。減速し左折しようとするがタイミングが合わない。歩行者が途切れることなく歩いているからだ。

 この通りはオフィス街で、近くに地下鉄駅があるため通勤中の会社員であふれている。信号機はなく道幅も狭いため、ある程度思い切らないと延々左折できない。

 歩行者が途切れたと思って左折しようとしたら、自転車専用レーンから猛スピードで自転車が飛び出してきたことがあった。それ以来慎重に運転しているのだが、ふと思う。この状況は自分の人生みたいだなと。人の動きばかり気にして、自分の思うようにできない。決断しなくてはならない場面でつい保留してしまう。一向に進めない。置いてけぼりだ。周りは進んでいるのに、自分はいつまでも同じ場所にいる。

 左折のタイミングを見計らっていると、グレーのスーツを着た女性が目の前を横断していた。彼女は平成生まれだろうか?20代に見えるので多分そうだろう。僕は昭和62年生まれの34歳だ。ふと昭和生まれについて考えることがある。例えばもし僕が年下の、平成生まれの女性と結婚するとしよう。相手の両親は「こいつ昭和生まれか」と思うのではないか。僕が平成生まれなら「年上か」で済むのに、昭和生まれということで中年感が増さないか?それとも「ともに昭和の時代を生きてきた」と親近感を持ってもらえるのだろうか。

 昭和60年代なんてほとんど平成じゃないか。たかだか数年の違いしかないのに、元号が違うと印象が大きく変わる。

 僕の1学年下は昭和63年と昭和64年と平成元年が混在する。平成生まれのやつが昭和生まれの同級生を「年寄り」といじっている光景を何度か見たことがある。学生時代なら他愛ない話だが、婚期が絡むとその差はかなり大きいよな。昭和生まれをいじっていた平成生まれも、あと20年したら令和生まれにいじられるのだ。というかそのとき昭和生まれはどんな扱いをされるのだろう。歴史上の人物と同じ括りにされてしまうかもしれない。僕から見た明治生まれが教科書で知った世界だったように、令和生まれからしたら昭和は歴史の世界に見えるのではないか。

 そんなことを考えていると、また左折のタイミングを逃した。