佐倉さん

佐倉さんに言いたい。「仕事が遅いよ」と言いたい。「もっと仕事しろ」と言いたい。あぁ、僕は佐倉さんに言いたいことがたくさんあるんだよ。

「もっと仕事しようね。後輩にどんどん抜かされてるよ。別にサボってるとは思わないけど、ちゃんと集中して取り組めている?ケアレスミス多いよ。捺印忘れ、チェック漏れ。自分でダブルチェックすれば気付けるよね?明日から3連休だからウキウキしている?そういうときにトラブルは起きるんだよ。ヒヤリハットって聞いたことある?僕から見ると佐倉さんはヒヤリとすることばかりだよ。ねぇ、この話、半年前の人事考課のときにも言ったよね?僕の話は頭に残らなかった?それとも分かってて無視してる?別に僕のやり方が100%正解かは分からないし、佐倉さんには佐倉さんのスタイルがあると思うよ。でもさ、仮にも上司である僕が言ったことは受け止めようよ。評価をするのは僕なんだし」

言えない。こんなこと言えない。どうせ泣かれるだけだ。通報されるならパワハラモラハラどっちだ?この内容だと恐らくモラハラか。

僕は用意していた別の言葉を口にする。
「佐倉さんはいつも頑張ってるよね。その調子その調子。欲を言えばもうちょっと正確性がほしいかな?もっと大きな仕事を任せてもらえるように、普段から意識して取り組んでね」

「分かりました」と佐倉さんは言う。だが恐らく何も分かっていないだろう。僕は佐倉さんの言葉を信じない。
「佐倉さんからは何かありますか?些細なことでもいいですよ」と聞いてみる。
「んー、特に何もないです」
「ないかー。困ってることとか、『○○さんのここが嫌!』みたいな愚痴っぽいのでもいいよ」
「そうですね…」
続く言葉はなく、しばらく沈黙が続く。その後「特にないですね」と佐倉さんは言う。
「オッケ!まぁこれからもよろしく頼みますね!」と言って人事考課は終了する。

これの繰り返しだ。半年ごとにこのやりとりが起こる。僕が佐倉さんの上司になったのが2年前だからこれで4回目だ。毎回同じやりとりになってしまう。色々と言いたいことがあるのに、僕は本音を言わない。言えない。でも、言うべきなのか?やっぱり言うべきじゃないと思う。だから言わない。

佐倉さんが仕事ができないことは事実として、そのせいで僕は佐倉さんを嫌いになり始めている。でも、たかが仕事ができないだけで人を嫌っていいのだろうか?

人には適性がある。すべてが万能な人は稀だ。じゃあ僕は勉強ができない人を嫌いになるのか?運動ができない人を嫌いになるのか?仕事はどうだ?楽器は?料理は?セックスは?何かが不得手というだけで相手のことを嫌いになるのは根本的に違うと僕は思う。

でもこの主張に反論してみようか。不得手は足を引っ張りやすいという面がある。足を引っ張られる側から見ると、嫌いになるのは自然な感情なのではないか。

僕は学生時代バスケットをやっていた。バスケットは走りっぱなしのスポーツなので練習はどれもキツいが、中でも部員全員でレイアップシュートを50本連続入れるまで終わらないという練習は特につらかった。
スタメンのやつらは軽々とシュートを入れる。補欠の部員でも練習中のレイアップならほぼ100%決める。だが補欠の中でも一番下手とされているやつは2割ほどの確率で外す。

この練習はシュートが入るたびに、「15ほーん!」「16ぽーん!」と全員で声を出して数えるのだが、誰かが外した瞬間、全員が「あーあ」と思う。エースが外したときは「仕方ないよね」という空気になるが、補欠最下位が外すと全員がイラつく。ひどいときは40本を過ぎて補欠最下位が外した。このときの絶望感たるや。また1本からだ。誰かが外す限りこの練習は終わらない。30分でも1時間でも走り続ける。部員の怒りの矛先は補欠最下位に向く。「お前が決めていれば」と。

職場も似たようなものだ。佐倉さんがせめてもう少し仕事ができれば、部署全体の残業時間は減るだろう。たった1人でそこまで変わるか?と思うかもしれないが、中小企業では1人の業務量が多い。佐倉さんが終わらない分は部署全体でカバーしなければならない。

じゃあ佐倉さんに仕事を振るなって?それもできない。佐倉さんを遊ばせておくほどの余裕はない。例え仕事ができないと分かっていても。

僕は佐倉さんに必要以上を望んでいない、せめて一人前になってくれればいい。でも、その一人前が難しいんだよな。

例えば婚活で「理想のパートナーは?」と聞かれて「普通でいいです」ってさ、普通のハードルが高いんだよ。四大卒の正社員で料理が人並みにできて家族と仲良くて借金がなくて特別美形でなくていい。これが普通だと思っているなら現実を知らないか、恵まれて生きてきたかだ。

仕事も同じ。こんな中小企業に普通の人なんていないよ。時間通りに出社して挨拶がきちんとできて身だしなみが整っていて一般的な教養と常識がある人。それ普通じゃないから。そんな人ですらレアなのが中小企業だよ。それ以上何を望むんだ。

これがこの2年間佐倉さんを見てきた僕の結論だ。僕は佐倉さんに優しく接することにしたので、今日も声をかける。
「佐倉さん元気してる?今日も頑張ろうね!」